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『一切の業障海(ごっしょうかい)は皆妄想より生ず。もし懺悔せんと欲せば端座して実相を思え。衆罪は霜露(そうろ)の如し。慧日(えにち)よく消除す』
(妙法蓮華経「観普賢菩薩行法経」)

あらゆる障害や苦しみの原因は全て妄想から生じている。もし懺悔しようと願うなら正しく座り、ありのままの真実(実相)を思いなさい。そうすれば多くの罪は霜や露のようなものとなり、仏の智慧という陽の光が消し去ってくれる。


この「妄想」は「強欲」と考えればよいと思います。
強欲は心を汚し目を曇らせ、さらなる悩みや苦しみを生みだします。
この強欲の世界から抜け出ようと思うなら、
心を落ち着け、本来の状態(実相)に戻ろうと思うことです。

人として生きる時に本当に必要なものであるか?
欲で自分を見失っていないだろうか?
自問することで、己の執着心が見えてきます。

執着心を捨てて、
自分は無用なものを求めているのだと悟った時、
仏陀の智慧の光(慧日)が心に射してきます。

慧日は、妄想から生じたあなたの悩みや苦しみを
陽にあたった霜や露のように消してくれるでしょう。




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『疑わざれ 現世(げんぜ)の安穏ならざることを嘆かざれ』
(開目抄)

現世が安穏でないからといって、仏を疑ってはならない。(御加護がないなどと)嘆いてはいけない。

信仰の原点は疑いを持たないことです。
なにひとつ疑いを持たず、ひたすら信じることが大事です。
今がつらいからといって、神仏をうらむことなど、
あってはならぬことです。
信仰は商売ではないのですから
決して[Give and Take]ではありません。

疑い、嘆き続ける人生は
なんとつまらなく小さなものでしょう。

絶対的に信じるものがあること、
何の疑いも持たずに心を託すものがあることの幸せに
私たちは感謝しなければなりません。

数々の迫害に遭い、何度も命を奪われかけた大聖人が
『疑わざれ 嘆かざれ』と述べられたこのお言葉は
重く強く私たちの心に響いてきます。




2009.06.13 一心こそ大事
『心の師とはなるとも心を師とすべからず』
(義浄房御書)


信仰および法華経弘通にとって最も大事なことは
あれこれと理屈を考えるよりも、
一心に無心に信じることである。

弟子たちが修行によって到達する境地よりも
本来的な仏の姿の方がはるかに尊く優れているのであるから
身命を捨てる覚悟でその仏にすがり信じなければならない。

己が心を重視するあまり、理に走ってはならぬ。
命をも惜しまず無心に信仰せよ。

大聖人は時として、弟子や信者に向かって
このような厳しいお言葉を述べられました。

一心無心より優れ、強いものはありません。
これは全てに当てはまることであると言えます。



『世はみな牢固ならざること水沫泡焔の如し 汝達ことごとくまさに疾(と)く厭離(えんり)の心を生ずべし』
(妙法蓮華経「随喜功徳品第十八」)

この世のどこにも確固としたものなどない。(確かなものと思っていても)それは水の飛沫や泡やかげろうのようにはかないものである。あなた達は早く執着から離れる心を起こさなければならない。


これこそが確かなものだと思い込むことから執着心が生まれ、
執着心から悩みや苦しみは生まれます。
安穏な心は、執着から離れることでしか得られないのだ、
と仏陀は説いています。
仏陀がそう説くということは、執着を捨てることが
いかに難しいかということです。
難しいからこそ仏陀の教えにすがり、示された道を歩み、
執着から脱することを心掛けなければならないのです。



『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候』
(崇峻天皇御書)


仏陀の教えは人の行いを正し、導くものです。
人が道を誤るのは、恐れや迷いが原因ですから、
それを取り除き正しい道を示すことこそ
仏陀がこの世に現れた目的なのです。

人が人としての正道を歩むために、
悩み迷った時は仏陀の教えに従うことこそ大事である。
大聖人が「出世の本懐は人の振舞」と述べられたのは、
このことを指しています。




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