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『疑わざれ 現世(げんぜ)の安穏ならざることを嘆かざれ』
(開目抄)

現世が安穏でないからといって、仏を疑ってはならない。(御加護がないなどと)嘆いてはいけない。

信仰の原点は疑いを持たないことです。
なにひとつ疑いを持たず、ひたすら信じることが大事です。
今がつらいからといって、神仏をうらむことなど、
あってはならぬことです。
信仰は商売ではないのですから
決して[Give and Take]ではありません。

疑い、嘆き続ける人生は
なんとつまらなく小さなものでしょう。

絶対的に信じるものがあること、
何の疑いも持たずに心を託すものがあることの幸せに
私たちは感謝しなければなりません。

数々の迫害に遭い、何度も命を奪われかけた大聖人が
『疑わざれ 嘆かざれ』と述べられたこのお言葉は
重く強く私たちの心に響いてきます。




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2009.06.13 一心こそ大事
『心の師とはなるとも心を師とすべからず』
(義浄房御書)


信仰および法華経弘通にとって最も大事なことは
あれこれと理屈を考えるよりも、
一心に無心に信じることである。

弟子たちが修行によって到達する境地よりも
本来的な仏の姿の方がはるかに尊く優れているのであるから
身命を捨てる覚悟でその仏にすがり信じなければならない。

己が心を重視するあまり、理に走ってはならぬ。
命をも惜しまず無心に信仰せよ。

大聖人は時として、弟子や信者に向かって
このような厳しいお言葉を述べられました。

一心無心より優れ、強いものはありません。
これは全てに当てはまることであると言えます。



『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候』
(崇峻天皇御書)


仏陀の教えは人の行いを正し、導くものです。
人が道を誤るのは、恐れや迷いが原因ですから、
それを取り除き正しい道を示すことこそ
仏陀がこの世に現れた目的なのです。

人が人としての正道を歩むために、
悩み迷った時は仏陀の教えに従うことこそ大事である。
大聖人が「出世の本懐は人の振舞」と述べられたのは、
このことを指しています。




『一念無明(むみょう)の迷心は磨かざる鏡なり』
(一生成仏鈔)


悩み、苦しみ、迷って光が見えない暗闇の心を
無明の迷心と言います。
心が迷うのは、心の持ち方(一念)が間違っているから
であり、心の持ち主自身が悪いわけではありません。

誰もが鏡となる心を本来持っていますが、
鏡は磨いてこそ鏡であって、磨かない鏡に光は射しません。

光を得るためには、まずは心を正し法華経を信じること
である。そして、法華経こそ
『元品(がんぽん)の無明を切る大利剣
(全ての苦しみを断ち切る力を持った剣)』
であると大聖人は述べられておられます。



『人身は持(たも)ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名を腐(くた)して死せんよりは、生きて一日なりとも名を上げんことこそ大切なれ』
(崇峻天皇御書)


名を腐(くた)すは人として無意味な空しい人生を過ごすことであり、名を上げるとはその反対と考えればよいと思います。

健康な肉体で長く生きたいのは誰もが望むことですが、心も同じです。たとえ120歳まで生きたとしても不健康な汚れた心の持ち主では長生きになんの価値もありません。

『人の命というものは草の上の露のようにはかないものであるから、1日1日がいかに大切かを自覚し、人として仏の子として有意義な正しい道を歩まねばならない』
大聖人の強く厳しいこのお言葉は現代の私たちの生き方に対しても言われています。

人は何年生きるかではなく、いかに生きるかが大事なのです。



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